才能の限界は遺伝ではなく体力

見えてくる限界

どのような競技でも最初は簡単な内容から覚えます。競技をプレイする楽しさの他に習得する楽しさも加わる為、初めの内は楽しく競技に没頭出来ますよね。しかし、のめり込めばのめり込むほど除々に壁も増え最終的に限界が見えてくると思います。

果たしてこの限界とはどういったモノなのでしょう。

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才能がない

出来る限りの努力をしても太刀打ち出来ない程の壁に当たると人はその時限界を感じます。しかし、生きている上で壁に当たることは想定内なので何度もその壁を超えるべく挑戦し続けますがそれでも超えることの出来ない壁の場合、「自分には才能がなかった」と一般的にはそこで諦めるか、別な道をを歩む選択をしますよね。

また、自分がどれだけ血の滲むような努力をしても、その境地までたどり着けなかった地位で活躍している選手などを見ると「きっと天性の才能があるのだろう」「凡人には無理だった」と先天性のものがその者と自分を振り分けた要因の一つと自身を納得させるのが一般的な思想だと思います。

はたして「天性の才能=天才」とはどういったものなのか一度考えてみましょう。

まず、人は人から生まれますので、親から引き継いでいる遺伝的な部分がその人の才能を左右していると思われるのが一般的だと思われます。事実として、学力や能力の約60%は親の遺伝が関係しているとの研究結果が出ておりますので、スポーツにおいても親からの遺伝が影響していると思うのは自然の流れと言えるのですが、その流れで考えるとアスリートの子供はアスリートの才能が多く備わっていると言うことになりますが、SNSやメディアなどにそのような人物はあまり見かけませんよね。

これだけの情報社会になっているのですから、有名アスリートの子供で才能溢れるモノがあれば必ず見かけるはずですが、今のところ目立ってそのような子供はあまり見かけません。

と言うことは親からの遺伝はスポーツにあまり関係はしていないと言うことになります。

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「天才は1%の閃きと99%の努力」(トーマス・エジソン)

過去の偉人で天才と称されている方の言葉ですがこれは、「どれだけ努力をしても1%の閃きがなければダメ」と、「沢山の努力こそが1%の閃きを産む要因」と2つの意味合いがあるようです。

この言葉から「閃きや悟りの境地にたどり着く方法」でも書きました通り、「閃き」を得るためには多くの反復練習が重要であると考えられるます。

そうなると、才能=天才には古典的な「努力」がもっとも重要であると言えます。

事実天才と称される人たちはこの「努力」を「努力」と感じず、「通常or日常」と感じているようなのです。一般人の考えからすると、とてつもない時間を集中して練習や研究に費やすのは「尋常ではない努力」と思うのですが、天才の部類に属する方々にしてみれば、それが「通常or日常」と思えるので努力をしていると感じないようです。

この「努力」とは定義の一つに「手を抜かずに継続して同じことを続ける事」というのがあると思いますが、この「続ける」にはどれだけその意志があろうと、それを達成させるためには「体力」が必要になります。

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才能を開花させるためには体力が必要

努力を努力と感じず没頭出来る天才でも、努力と感じながらでも夢を成し遂げる為に続けられる天才でも、それを行うには「体力」が必須です。

それはスポーツだけに限らず他の分野でも同じ事で、勉強や研究にしても長時間椅子に座り続けデスクに集中し続けるのは体力を消耗します。

そしてその才能がいつ開花するのかは個人によって大きく異なり、明日やってくる者も居れば20年後にやってくる者も居ますが、その時が来るまで継続し続けられるには「好きである」事と「継続できる体力」といった条件が必要です。

好きで楽しいと思える事であれば延々と続けられまが、その為には延々と続けられる体力が必要です。現実問題として好きなことを続けるには財力も必要と思われるかもしれませんが、財力を生むためにも結局は体力です。

ですので、才能を埋もれさせるのも、開花させるのも最終的には「体力」が影響しているのです。

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